Zac Fukuda

Bill Gates『Source Code』

「Are you a member?」
「…No.」
「Do you need a bag?」
「No.」
「Do you need a receipt?」
「No.」

シンガポールにある紀伊國屋にて、ビル・ゲイツが執筆した『Source Code』を購入する時にした店員とのやりとり。ノーノーノー。批判的な言葉の3連発。海外観光客なのだから、会員でないのは当然だ。(店員からしたら現地民と見分けられないかもしないが。)買い物袋を貰わないのは、ゴミを減らそうという地球環境への配慮。レシートも帰ったら捨てるだけだ。もらう必要はない。

どこか罪悪感を感じながら購入した本を片手で掴み、ホステルへ帰宅する。バリ島・チャングーにいた時、同書目当てで本屋を訪れたが、本棚競争でフィル・ナイトに敗北したビル・ゲイツ。約1ヶ月遅れで『Source Code』が1人多くの読者の手に渡る。

本を読まずとも、ゲイツ氏の成功話しはよく知られている。

中流階級に生まれた理系数学得意な小学生がコンピューターに興味を持ち、プログラミングにハマる。ハーバード大学を中退し、マイクロソフトを創業。ソフトウェア開発というパーソナル・コンピューターブームの立役者となり、会社は大成功。当人はたちまち億万長者に。

一体、ゲイツ氏の成功の秘訣は何だったのか?パーソナル・コンピューターの親、ビル・ゲイツのソースコードとは。

「A computer on every desk」

理念経営崇拝者は自慢気にゲイツ氏の理念、マイクロソフトのミッションを教科書にする。「揺るぎなき信念と、己へ課したミッションが、個人・組織を成功に導く。」

聞こえは良い。では、信念とミッションがあれば、誰でも成功できるか?答えはノーだ。

信念とミッションは成功の秘訣の一部かもしれない。だが、その全てではない。正直、一部であって、一番の秘訣ですらない。一番の秘訣、それは運だ。

ゲイツ氏は1955年生まれ。小学4, 5年生の時、彼が通っていた小学校レイクサイドにコンピューター・ターミナルが設置される。ゲイツ氏が小学校高学年の時期。つまり1965,66年である。おそらく1960年代後半に、自由にコンピューターにアクセスできた小学生はレイクサイドの生徒ぐらいだろう。1965年の世界人口が約35億人だとする。平均寿命が75歳かつ人口が均等に年齢毎分布したとして、単純に計算をすれば、1965年時点の世界小学生人口は35億×(12-6)÷75=2.8億。内レイクサイドの全生徒数が500人であれば、レイクサイドの生徒は、2.8億分の500、約0.000002%の確率で当たるくじに晴れて当選。

人類が半分の確率で理系・文系に分かれて生まれてくるとすると、1965年にレイクサイドの理系生徒になれた確率は0.000001%。加えて1965年に四則演算と読み書きがある程度できる小学校高学年でいられる確率はさらに半分の0.0000005%。

実際、コンピューターに気を惹かれたのは、ゲイツ氏を含め4人だったので、1965年にコンピューターを触ってみようと思えて実際に触れられた小学生でいられた確率は4分の2.8億。0.000000015%だ。(後に4人の内の1人、ゲイツ氏の親友は事故で亡くなってしまう。なので、1965年にコンピューターを触ってみようと思えて実際に触れられた小学生でかつ成人できた人間でいられた確率はもう4分の3になる。)

ちなみにこのブログの著者が自由にパソコンにアクセスできるようになったのは、要するに自宅にパソコンがやってきたのは中学校2年生、2004年のことである。

学校にコンピューターが設置される時に、小学校高学年というのも絶妙なタイミングである。アメリカの中学校システムはよくわからないが、仮に中学生の時に学校にコンピューターが来てしまった場合、既にクラブ活動に没頭していて、コンピューターに惹かれる機会を損なってしまいかねない。

ゲイツ氏のさらなる幸運は彼の両親。仮に自分の小学生である子供がコンピューターに興味をもったとする。大抵の親であれば、「学校の勉強をしなさい。友達と遊びなさい。外で運動しなさい」と子供をコンピューターから引き離そうとするだろう。しかし、彼の親は違った。誠意に自分の子供の関心を見守り、育くんだ。

他人と違うことを許され、自分のやりことをやって育くまれてきた自己肯定感。ある人は「努力」だとか「教育」の一言で片付けるかもしれないが、そんな簡単な話ではない。そもそも「努力」する発想が出ない環境で育つ人間、教育を受けれない人間はたくさんいる。「努力」ができるのも運である。

ゲイツ氏の素晴らしいところ。それは、自身の幸運を認めていることである。