Zac Fukuda

北海道移住DRAFT会議2023-24士別市キャンプイン - 1日目

ホームとホームを繋ぐ橋を降りていると、駅舎の窓からコーディネーターが動画を撮影しながら、こちらに手を振っている。おそらく自分が最初にその姿に気付いただろうか。手を振り返す。他の選手・スタッフも自分が手を振っている先にコーディネーターがいることに気付いてみんなで手を振り合う。キャンプインスタート。

コーディネーターは計三名。夫婦一組と男性がもう一人。前に会ったのはDRAFT会議二日目なので、約二ヶ月半ぶりの再会。軽く再会の挨拶と会話をして、すぐさま最初のアクティビティに移行。日本最北の駅そば。駅構内にある駅そばはどうやらJR士別駅が最北とのこと。ただ、立ち食いそばではなく、テーブルとパイプ椅子があるので、座ってそばを食べられる。味は普通の駅そば。そばの他にカレーがメニューにあるが、コーディネーターによるとカレーはとてつもなく辛いらしい。

そばを食べ終え、駅舎の外に出る。駅舎の壁に伝言板がある。古き良き時代の名残り。選手の一人が「十九日、帰宅」とメモをする。キャンプイン中は九人乗りのバンで移動。荷物を詰め込み、コーディネーター夫婦が経営しているゲストハウス・エストアールへ移る。移動時間は約30秒。「歩いた方が早くないか?」と心の中では思うも口には出さず、女性もいるから、重い荷物を持ちながら歩かせるのもよくない。三十秒のバン移動に意味を見出す。

ゲストハウスではまず、ワーキングホリデーでオーストラリアから住み込みしている男の子J君が迎え入れてくれ、部屋へ案内される。誰がどの部屋に泊まるかまでは決まっていなかった。宿泊する選手・スタッフ4名の間で適当に泊まる部屋を決め、荷物を下ろし、リビングへ集合する。

リビングでは市役所企画課に勤務するMさんが待っており、挨拶をして、まず全員、名札に名前を記入し、それを首にぶら下げる。

前準備が終わったところで改めてキャンプインスタートの会。市役所のMさんと選手・スタッフは初対面なので、自己紹介をし、キャンプインの流れを確認。他の球団(主に自治体)の姿勢はわからないが、士別市の良いところは“行政”し過ぎていないところ。緊張感もなく、和やかな雰囲気で出発。計九人でバンへ乗り込む。

プログラムには記載されていなかったが、最初の目的地に向かう途中に市役所があるので立ち寄ることに。役所の建物は新しく、3年ほど前に建てられた。平面的には長方形の三階建て。レンガ造りではないが、そう思わせるように柱の外壁に濃い赤紫のタイルが貼られ、長辺の柱と柱の間はガラス窓が張り詰められており自然光が入るようになっている。正面玄関は長辺側に付いている。当然中も綺麗。トレイの人マークがベタ塗りではなく、枠線だけしかないサインなんかは如何にも最近の公共施設っぽい。それでもやはり市役所なので、各課の窓口が並んでいる。

資料の整理整頓方法に関してはフォルダー形式を採用しており、高い棚を置かず視野が広々とするようにしていること、最近は出来るだけ紙で資料を残さないようにすることなど、Mさんから説明をもらう。その場で働いてる役所の人たちは、突然の来客、それもスーツを着ていないカジュアルな服装をした客へ不思議そうな視線を向ける。

二階へ上がる。二階には今回DRAFT会議と関わってくれている企画課がある。運良く企画課の課長と挨拶を交わす。この課長はDRAFT会議1日目、士別市のプレゼンをしていただき、キャラの濃さが球団含め参加者から人気だった。

三階には市議会の会議場が設けられている。今回のコーディネーター三人のうち、夫婦でコーディネートしてくれている夫と、もう一名のコーディネーターは市議会議員。士別市の会議は壇がなく、フラットな目線で答弁ができる。各席がとまではいかないが、向かい合わせでなく、正方形状に配置されているのも特徴の一つかもしれない。

市役所を訪問した後は士別士市街地東側に位置する九十九山にある士別神社へ。士別の開拓者は百人だった。しかし、その内の一名が病気だか事故で亡くなり、結局九十九人で街を開拓することになった。山の名前は、この事実に由来する。士別神社の境内の広さは北海道で二番目とのこと。一位は北海道神宮だろうか。それとも神宮は神社ではなく、他にもっと広い“神社”があるのだろうか。

北海道に神社はあまりない。本州から来た人が魅了される神社となれば尚更のこと。士別神社の本社は塗装が施されていない。しかも燻みがなく、木材そのままの薄茶色をしていて綺麗。やたら増やされた本州の神社と比べると、丁寧に真心込めて建てられた雰囲気が伝わる。士別市民は皆この神社で七五三を迎えるらしい。

季節は五月中旬。流石の北海道でも桜はもう咲いてない。しかし、士別神社前の道沿いは桜の木が植えられており、開花のシーズンには一キロほど桜が咲き乱れるとのこと。

神社の次はその裏手あたりにあるパン屋カフェ・コトリへ。お店に入ると何かものすごくいい匂いが。パンやコーヒーの香りではない。店の奥にはランチをしている二名の男女が。どうやらランチ営業もしているらしい。キャンプ中、他者から一番受ける質問が「どこから来たんですか?」基本的には出身地から会話が広がっていく。店主とは主に本州と北海道の自然災害について話したと思う。北海道は地震が少ない。災害とまではいかないが、北海道民が一番気にする自然障壁はやはり雪。本州の人はおそらく地震を一番気にかけるだろう。自分は静岡県東部出身なので、富士山の噴火、小学生の頃三宅島が噴火したことなど火山について話した。今思い返してみると箱根も噴火し兼ねない。

そんな世間話しを十五分ほどし、コトリでは後で飲む用にポットに淹れたコーヒーをテイクアウト。パンはほぼ売り切れ。自分はデニッシュを、もう一人の選手は別のパンを購入。

パン屋の後に向かったのは別のパン屋・美吉屋。こちらの店舗では予め取り置きをしてもらっていたので、パンとケーキをピックアップ。市役所員のMさんは自宅用にここで数個パンを購入。

美吉屋の次は士別に住む夫婦宅へ向かう予定だったのだが、コーディネーター・嫁が七分ぐらい余裕ができたからと、二日後から自分が四ヶ月間住まう予定の物件に全員で見学へ。なんだか恥ずかしい。物件は2階建て4LDKの一戸建て。一人で住むには広すぎる。二階はほとんど使用しないだろう。自分もグーグルマップ共有リンクに表示されたサムネイル写真でしか物件を見たかとがなく、この時が物件との初対面。家に着くとコーディネーター・嫁の両親が建物の窓掃除をしてくれていた。すかさず住居人としてご両親へ挨拶とお礼を述べる。

パパッと内覧を済ませた後は当初の予定であった士別で農業を営んでいる六十代夫婦の家へ。家といっても夫婦はそこに住んではいない。畑の脇に位置する事務所みたいな存在。建物自体は住宅なのだが、内装はリノベーションされており、生活感もなく、奥さんの趣味である手芸工房が一階の角にある。印象としてはカントリースタジオ。夫婦の話を聞くのもそうだが、奥さんが趣味でやるヒンメリを体験するのが目的だ。

前半は先ほどテイクアウトしたコーヒとケーキを味わいながら雑談。夫婦が生産する主な作物が小麦だ。士別で獲れる小麦は特殊だからと、東京の一部のパン職人が直接買いに来るらしい。

皆がケーキを食べ、コーヒーを飲み干したところでヒンメリづくりを開始。ヒンメリとは—自分も今回の初めて存在を耳にしたのだが—麦の藁を一定の長さ、大体数センチから7~8センチぐらいに切ったものを糸を通して繋げていき、基本はピラミッド型の立体に整え、それらを組み合わせて最終的な立体オブジェクトをつくる工芸品。士別が発祥という訳ではなく、北欧が発祥地と言われている。奥さんも何回かワークショップを開いたことがあるが、あまり普及までには至らなかったとのこと。

ヒンメリの難しいところは幾何学的・立体的に作業を進めていかなければならないこと。手芸は男性よりも女性が得意そうであるが、今回ヒンメリを作ったメンバーの中では、男性の方がやや早くコツを掴んでいた。手先の器用さよりは立体認識力の方がヒンメリには欠かせない。ただ、形づくる立体を想像できても、最終的に形を安定させるのはやはり手先の器用さである。自分も藁と藁と結び目を固定するためにキツくしばろうとして藁が割れてしまったり、結び目の強さに強弱があり過ぎて立体が少し傾いたりと苦労をした。

完成に差し掛かったあたりで、DRAFT会議の別スタッフが合流。ヒンメリづくりは一時間弱で完成・終了。みんなでヒンメリ片手に記念写真を撮影し、お片付けをして宿・エストアールへ帰宅。Mさんの同行はここまで。別れを告げる。

帰宅後は三十分間ほど自由時間。自分はこの間に必要なメールの確認と返信を済ませる。

十八時を少し回ったところで、宿から徒歩一分にある焼き鳥屋・蔵(くら)へ夕食に。
食事へはMさんの代わりに別の市役所員Fさんが参加。たぶんFさんは、仕事で命令されて参加しているのではなく、個人的に飲みたいから参加している。

「キスと乾杯は、何回してもいい!」DRAFT会議での乾杯の掛け声である。さすがに士別でこの掛け声は言わない。普通にお疲れ様でしたと乾杯をする。

昨夏、札幌にいた時はそこまで外食をしなかった。外食はするが安いチェーン店で済ませていた。だから、人々が言う「北海道のご飯はおいしい」印象を抱けなかった。焼き鳥はもちろんおいしい。しかし驚きはホッケ。大きい。本州人が抱く焼き魚のサイズ感ではない。そして、うまい。ここに来てようやく、北海道のおいしさを痛感する。

閉店時間が近いづいてくると店長が直接空ビンを回収しに来て、ついでに空ビン両手に掴みながら頭の中へ注文を取っていく。容姿は如何にも焼き鳥屋の店長という感じでふくよか。内陸なのになぜかサーファー、漁師のような日焼けをしている。

焼き鳥屋は二十一時で閉店。スナックに行くかボーリングに行くか、チーム内で悩んだが、翌日スナックに行くスケジュールが組まれていたので、ボーリングに行くことに。

ボーリングへは、選手三名、DRAFT会議スタッフ一名、コーディネーター夫婦の二名、市役所員Fさんの七名で始め、焼き鳥屋で途中ミーティングがあるからと席を外していた一名のコーディネーター、さらに青年会議所の方が一名が途中から加わり、最終的には九名でプレイ。一ゲーム目は様子見だからと皆適当に投げ、二ゲーム目、三ゲーム目はチーム対抗戦。

普段一人でボーリングする時はアベレージで一六〇から一七〇は出せる自分も今回はかなり苦戦。まずマイシューズではないからシューズが滑る。踏ん張れない。第二に、朝ランの疲れがある且つ普段なら寝てる時間にプレイをする。そして第三に、これが一番の要因なのだが、レーンにワックスが全然効いていない。ローカルなボーリング場にありがちだ。いつも通り投げると左側ガーターに落ちるか、よくて七番ピンにヒットする。投球を左側から右に向かって投げることである程度ボールは真ん中へ行くよう修正するも、自分のスキルではそこまでのコントロールができない。そして右に振り過ぎしてしまうと右ガーターにボールが落ちる。右ガーターに落ちるのが怖くてあまり右に振らず投球すると球は左側へ行き過ぎてガーターになる悪循環。結局、個人的には二ゲーム目のスコアが良く、一ゲーム目と三ゲーム目は一〇〇点にも届かなかった。スコアは二の次。皆で楽しむことが優先。

深夜十二時を回ったぐらいでボーリングを終え、子持ちのFさんが息子にトミカを取っていきたいとゲームセンターのクレーンゲームを始める。商品を迎える穴の脇にはトミカ二十台ほどが積み上げられている。順調にクレーンでトミカを台の上へ積み込んでいくが、ジェンガのように積み重なったトミカは、びくりとは動くものの焼石に水。一向にジェンガトミカが崩れる気配はない。健闘虚しくFさんの百円玉が尽きる。コーディネーターの夫がバトンを受け取り、自らの小銭をFさんの息子のため注ぎ込む。Fさんの分も含め千円を費やしただろうか。ジェンガは崩れなかったものの、トミカ一個と二センチくらいの黄色い半透明をしたF1カーのようなフィギュアをゲットする。

「帰るよう。」コーディネーター嫁からクレーンゲームに群がっていた男性陣に声がかかる。まばらな街灯が灯された士別の夜。五分ほど宿まで歩き、帰ったら歯と顔を洗いすぐ就寝。