Zac Fukuda

結婚

結婚について考えてみようと思うが、先にサッカーについて考えてみる。

「サッカーをする」と言った場合、2つの意味が考えられる。1つ目の意味としては、定期的もしくは頻繁にサッカーをプレイする状態。サッカークラブに入っている小学生、サッカー部所属の中高校生、社会人サッカークラブに入っている大人。彼ら彼女らはサッカーをする。言い換えると現在形としての意味。

2つ目に考えらるのはサッカーをプレイする予定がある状態。サッカーなんて滅多にプレイしないけれども、たまたま知人に誘われ、「最近運動不足だし、サッカーしみるか」という人もサッカーをプレイする予定が入ってからサッカー開始までは「サッカーをする」と言える。つまり未来形としての意味だ。現在形で「サッカーする」少年も「放課後にサッカーをする」と言えば、それは未来形としての意味を持つ。

次に「サッカーをしている」について考えてみる。

1番よく使われる意味としては現在進行形でサッカーをプレイ中の状態。日曜日公園で「サッカーをしている」親子をよく見かける。

しかし、ややこしいことに「サッカーをする」同様、現在形で頻繁にサッカーしている人たちも「何かスポーツやってますか?」と質問された時、「サッカーをしています」と答えるだろう。「サッカーをしている」には現在形、現在進行形の2つどちらかの意味合いがある。

「サッカーをした」はどうだろうか? これはサッカーをプレイした後の状態だ。つまり過去形。ただし、「サッカーをした」は時間指定と合わせて使用されることが常である。「昨日サッカーをした」、「1年前サッカーをした」など。一度でもサッカーをプレイしたことがある人は誰でも「サッカーをした」と言うことはできる。

「サッカーをしていた」は過去に一定期間以上頻繁にサッカーをプレイしていた過去完了形としての意味がある。「小学生の時にサッカーをしていた」、「1年前まではサッカーをしていた」。どれぐらいの期間以上継続的にサッカーをプレイしていたら「サッカーをした」から「サッカーをしていた」になるかは各人の感覚による。私的に最低限は週1回、計1ヶ月続ければ「サッカーをしていた」と言ってもよいだろうか。

少し方向性を変え、「したい」と「できる」についても考えてみたい。
「サッカーをしたい」はサッカーをプレイしたいという願望を抱いている状態。毎日サッカーをする人であれ、今まで1度もサッカーをしたことがない人であれ、プレイしたい願望があるのであれば、誰でも「サッカーをしたい」と言うことができる。

「サッカーができる」は、一般的にサッカーが上手い状態を指す。上手くなくてもルールを知っていて、基本的なパスとシュートができる人も「サッカーができる」と言えなくはない。サッカーが上手い上司が部下に「サッカーできる?」と尋ねるシーンは容易に想像できる。(「できる?」の質問にはサッカーよりもゴルフが用いられることが多そうだが。)

ある程度サッカーについて考えがまとまってきたので、本題の結婚について考えてみる。結婚とは何か? まずサッカーと同じように結婚を目的語とした動詞を例に考えてみる。

「結婚をする」と言った場合、サッカーの時とは違い、1つの意味しか持たない。未来形だ。「明日、結婚する」、「来年、結婚する」。頻繁に結婚する人が少ないからかもしれないが、現在形として「結婚をする」とは言わない。『Friends』のロスでさえ、「I get married」とは言わないだろう。大抵の人は「結婚をする」と言った時、結婚を婚姻届を役所に提出すること、結婚式を開くこと、どちらかの意味として話しをする。最近では形式結婚も存在する。周りに形式結婚をした人がいないので確かなことは言えない。中には「いつ形式結婚するの?」と訊いて「X月X日」と具体的な日付を返す人もいるかもしれないが、形式結婚は段階的にしていく印象がある。

「結婚をしている」について考える。「結婚していますか?」と尋ねて「結婚しています」と答る人はまだ離婚しておらず以下いずれかの条件を満たす人だろう。

  • 婚姻届けを役所に提出した人
  • 結婚式を開いた人
  • 形式結婚者

ここで不思議なのは、形式結婚の場合を除き、「結婚をしている」と答えらる人は過去に「提出した」、「開いた」と、過去結婚にまつわる「何か」をしたことがある人に限られる点である。同棲していて、家賃・生活費を折半している、互いを尊敬し合っている2人も結婚にまつわる「何か」をしない限りは「結婚をしている」状態にはなれない。

「結婚をしている」は現在形と現在進行形どちらだろうか? 表現からは現在進行形である。しかし、現在進行形とすると、「結婚をする」は未来形としてしか存在しないから、「結婚」を目的語とする現在形の動詞がなくなってしまう。これは問題であるが、とりあえず次に進む。

「結婚をした。」結婚式から数日もしくは数ヶ月後、とある人間は久々にあった相手にこう言う。相手はつかさず返す。「結婚おめでとう。」おかしくないか? 「結婚をした」ということは今「結婚をしている」はずはない。 次の日、その「結婚をした」人は、新しい人と出会い、次の質問を投げかけられた。「ご結婚されていますか?」そいつは答える。「はい、結婚しています。」どちらだ。

「結婚をした」と言う時、人は「結婚」を婚姻届の提出もしくは結婚式として発言をする。つまり人は、「結婚をしている」状態に昇華する「何か」を「結婚」と捉える。「結婚をしている」と言う時、人は「結婚」を婚姻届の提出後もしくは結婚式後の「共同生活」の意味として「結婚」を使用している。

離婚後、再婚していない人に「結婚していますか?」と尋ねてみよう。相手は次のように答えるだろう。「X年前に結婚したんですけど、今はしていないです。」この相手は同一センテンス内で「結婚」を「(X年前にした)何か」と「(今はしていない)共同生活」両方の意味で使っている。

先の例で挙げた離婚済み未再婚の人は「結婚していますか?」という質問へ次のように答えるかもしれない。「X年前まで結婚していました。」

「結婚していた」という表現は、離婚した人しか使わない。結婚式最中のことを振り返って「結婚していた」と話す人はいない。

「結婚をしたい」人は、「結婚をした」こともなければ、「結婚をしている」わけでもなく、且つ「結婚」を実行したい人だろう。「結婚が欲しい」とは言わないことから、「結婚」がモノではないことは明白だ。サッカー好きな人は「サッカーをした」後またすぐ「サッカーをしたい」状態になる。だが、独身時、散々「結婚したい」と言っていたアラサー女子も「結婚をした」途端、「結婚をしたい」とは言わなくなる。なぜだ?

サッカー好きに「サッカーしたい?」と質問して「したい」と答えない時が1つだけある。「サッカーをしている」最中だ。「結婚をした」人が「結婚をしたい」と言わないのは「結婚をしたい」わけでないわけではなく、「結婚をしている」最中だからである。つまり自身の「結婚欲」を満たしている状態。何とも幸せな時間だ。「結婚をしている」にも関わらず、一向に「結婚」願望が満たされない時、人は「結婚」を止め、「結婚」以外の事柄に取り組むのが利口だ。

「結婚ができる」人は、まだ「結婚をした」ことがない人に限られる。夫婦円満で「結婚」が上手い人も、手を挙げて「私、結婚できます!」とは言わない。「結婚ができる」の「できる」は、サッカーの時とは違い、必要条件を満たしているかどうかの意味で用いられる。その必要条件が「結婚をした」ことがない人であり、別の言い方をすると「結婚をしている」状態でない人である。この『「結婚をしている」状態でない』条件はあくまで社会的条件。個人の自由でいくらでも形式「結婚」はして良いと思う。

これまでの考察の中で「結婚」には2つの意味・解釈の可能性が存在する。

  1. 婚姻届けの提出、結婚式など特定のイベント
  2. 共同生活

「結婚」という言葉が2つの意味を持つことを許容しても良いが、少し納得がいかない。例えばだが、「結婚」が共同生活である時、共同生活には上手い下手があるはずだが、「結婚がうまい」と言わない、言えないのは問題だ。何か「結婚」をより正確に説明できる言葉はないだろうか。

行動経済学者リチャード・セイラー著『Nudge』の中で、経済学的に「結婚(marriage)」を言い換えた単語として「domestic partnership」が使用されていた。訳すなれば「家庭協定」だろうか。しかし、日本語表現として「家庭協定をする」はおかしい。

ここで少し論点を「結婚」ではなく、「結婚」を使う人間に向けてみる。人々が「結婚」を理解せず、誤って動詞を選んでいたとしたら辻褄が合いそうだ。「結婚をする」の本意が「家庭協定を開始する」であれば表現に問題はない。「結婚をした」の場合も、「家庭協定を開始した」を意図した表現であれば自然だ。結婚=家庭協定だとすると、「家庭協定ができる」人が未協定者に限られることや、「家庭協定がうまい」という表現が用いられないのも納得できる。

結婚に関わる動詞の一般表現と本意の対応は以下になる。

一般表現本意
結婚をする家庭協定を始める
結婚をしている家庭協定中
結婚をした家庭協定を始めた
結婚をしていた家庭協定を結んでいた
結婚をしたい家庭協定を結びたい

「結婚ができる」、つまり「家庭協定を結べる」条件については、国内行政上は男性満18歳以上、女性満16歳以上の未婚者(未家庭協定者)になる。「形式結婚(非行政家庭協定)」における「家庭協定を結べる」人は、個々人の要求ないし各協定の定めるところによる。繰り返しになるが、協定違反にならない範囲であれば、何人とでも(形式)家庭協定は結んでよいだろう。ミクロな国際平和だ。

ところで、結婚=協定という真実・現実に不愉快を抱く人もいるだろうが、「結婚」は「婚を結ぶ」であるから、「婚」がある種の契約・協定であることは初めから示唆されている。どうやら「婚」の意は「縁組み」であり、ここでの「縁」とは「協定」でいう「協力」だろう。

人々が抱く「結婚」のアイデアには「婚」が付く。婚約、婚姻、結婚、求婚、新婚、初婚、離婚、再婚。

21世紀に入ってから「婚活」という語が誕生したが、字通りの解釈をするのであれば、それはまさしく人々が言う「結婚生活」。未婚者が婚活するのではなく、既婚者が婚活するのである。