安藤忠雄『仕事をつくる』
誰の格言でもない。自分で勝手に思いついた言葉だ。この言葉を当てはめるのであれば、安藤忠雄は間違いなくグレート・ティーチャーだ。
高校卒業後、お金がないため大学進学を諦める。代わりに建築学科へ進んだ同級生から、大学四年間分の教科書を紹介してもらい、一年間で読破してしまう。
自分が安藤忠雄という存在に出会ったのは、沼津市立図書館だった。十九歳か二十歳だったと思う。高専卒業後の進路として、建築分野に道を変更するのもありかと、漠然と思い描いていた頃。館内で建築書を読み漁っていて、安藤の本に出会った。その時、安藤が独学で建築を学んだこと、二十代で世界の建築を見て周ったことを知った。一番目を惹いたのは、『建築家安藤忠雄』だった。
分野は違うが、「独学」という点において、安藤は自分の模範である。
大学四年生のとき、直島を訪れた。七月、平日の木・金曜日と海の日の三連休を利用して、四泊五日かけて鹿児島から大阪までを横断する、一人旅の道中だった。直島に足を運んだのは、単なる芸術鑑賞が目的だった。強いて言うならモネの『睡蓮』が見たかった。それでも、地中に建物が埋まっている地中美術館の発想、建築物としての存在には感動した。
あれから十二年、直島を再訪した。今回、旅の目的は建築、つまり、安藤忠雄に変わっていた。
最初に訪れたANDO MUSEUMのショップで同書が売られていた。購入しようかと思ったが、荷物が重たくなるのが躊躇われるのでその場では買わなかった。長崎についてすぐさま同書を注文した。
青春という言葉はあまり好きでは無いが—高校生のラブロマンスやインターハイを目指すスポーツドラマを想起されるので—いつもまでも若くありたいと、自分は思っている。
「おいくつですか?」
この質問に対し自分が実年齢を答えると、大抵、相手は驚く。現在、三十代半ばだが、二十代前半に見られることが多い。人はこれを遺伝子のせいにしたがる。しかし、「若くいる」努力は人一倍している自負がある。健康的な食事をする、定期的に運動をする、やりことを(仕事に)する、向上心を持ち続ける。
人は歳をとると、努力をしなくなる。苦労はたくさんしているかもしれない。だが、努力をすることよりも、その苦労を取り繕うことに精を出し始める。そして、人相はズル賢く変貌していく。つまりは老けるのである。
学生時代、周りにこういいう大人はたくさんいた。むしろ、こういう大人しかいなかったとさえ言えるぐらいである。そういう人たちを見て、自分は純粋にカッコ悪いと思ったし、こうなりたくないと、心の底から思った。
来月、大阪へ行く予定がある。短い時間だが少しでも安藤の作品に触れる機会を設けたい。